時が経つのは本当に早い。 昨日から3月に突入しました。ぼーっと生きていてもいいことないので、最近、いろんなところに顔を出そうと思って行動しています。
その一つに3月11日(水)の昼から飽田中学校で”進路学習会”と名うって、飽田中の生徒の前で講演を行ってきます。
飽田中学校の先生が私の整体をうけてくださったのが縁なのですが、この私が生徒さんの前でしかも教室の教壇にたって話をするなんて、思いもしませんでした。
なんとも嬉しい限りです。
久しぶりにめちゃくちゃ緊張しそうですが、一日だけ中学校の先生になって、なりきって、俳優 豊原を演じてみたいと思います。
きゃっ









生西もこの1年、週に一回一時間だけ中学生に数学を教える仕事をしてきて、10年前に香川で教えていた時とは全く違う『気付き』を生徒達からもらいました。
以下、生徒達に配った文章の一節です。
~・~・~・~・~・~・~
司馬遼太郎という作家が晩年に書いた文章にこういう一節があった。
『私が持っていなくて、
君達だけが持っている大きなものがある。
未来と言うものである』
まだ若いみんなには
この言葉の重さが充分に伝わらないだろう。
でも少しだけ真剣に想像してほしい。
10年後20年後、
君達が日本の背負って生きている未来に、
今70歳80歳ぐらいの人の多くは生きてはいないだろう。
また50歳60歳ぐらいの人の多くは現役を退いているだろう。
みんなはそんな人達が経験できない時代のど真ん中を生きて、
今年配の方々が知る事の出来ない時間と場所を駆けて行くんだ。
それは正直羨ましい。
生西も順当に行けば、みんより早く引退し、早く他界する。
どんなに知りたい未来が目の前にあっても、生きられなくなるんだ。
どんなに生きたいと願っても、死ぬしか道がなくなる時が来るんだ。
みんなが生きている世界に生西は居ない。
その時をみんなは想像できるかい?
~・~・~・~・~・~・~
もっと長い文章でしたけど、余り長いと「俺のブログ荒らすな」と怒られそうなので^^;。
子供達は大人が思っている以上に考えられますし、感受性が強いですし、未知の世界を欲しています。
そして愛しく思う子供達の未来に対し、確かに残せるものと言ったら、ブレ無い心の糧となる経験や体験しかないのです。
そしてそれを残す事が、自分が存在しなくなった将来、ささやかながら自分が生きた証拠を残す唯一の方法でもあると思います。
事前準備と、瞬発力あるトークで、生徒達の記憶に残る講演をしてきてください^ー^。きっと豊原さんもたくさんの気付きをもらって帰ってくると思います。